
心療内科の診察日。
次回(来週)、父との家族面接をやっていただくことになった。
家族面接は、父とのコミュニケーションの潜在的なこじれを修復するためのもの。
実は入院中にも一度行っていただいていて、二度目になる。
今日の診察を通して思ったこと。
一般に理解しがたいことを
だれかに「わかってもらいたい」と思ったとする。
わかってもらうために費やすエネルギーというのは、
それが理解しにくいことであるぶん、膨大なものになる。
でも、これを惜しんでいてはいけない。惜しみたくない。
もし、それがどうしてもわかってもらいたいことならば。
もし、それがどうしてもわかってもらいたい相手ならば。
もちろん、妥協も必要。
不毛な議論になってしまうことだって、
徒労に終わってしまうことだって、
誤解を受けて悲しい思いをすることだって、
伝わらずに歯がゆい思いをすることだって、
不本意な結果に悔しい思いをすることだって、ある。
だから、だれに、なにを、なんのために、どんなふうに、どこまで、理解してもらいたいのか。理解してもらうことが必要なのか。
それを明確にしておくこと。
そして、どんなふうな伝え方であれば相手に通じるのか、理解してもらえうるのか。
それを見極めることが大事だと思う。
理解してもらうための努力もしないで
「どうせわかってもらえない」と
端からコミュニケーションを諦めてしまうなんて
子どもじみてる。
でも、その子どもじみたことをやっていたのがわたし。
そうして、自分ひとりでこらえてこらえてこらえてこらえて、、、
で、爆発。壊れる。
そんなの、
甘えてこないことなんかより、頼ってこないことなんかより、
よほどメーワク!
いまのわたしはガソリン不足。
だから、そのぶん先生にサポートしていただく。
サポートしていただきながら、
省エネ・コミュニケーションの修練を積んでいく。
自立した個を保ちつつ。
個を保っているからこそ、
周囲のサポート、協力をありがたくお受けする。
自己を確立すればするほど
自分に足りないものって見えるものだから、
ひとりじゃ生きていけないってこと、わかるものだから。
だから、
わたしは、たとえば先生を頼っているし、甘えてもいるけれど、
依存しているわけではない。
話がちょいそれたけれど、
「伝えようとしない限り伝わらない」
そして
「伝える努力(←これがさまざまな技能や構えを要する、一筋縄ではいかない深ーいことなんだけれど)をしてみれば、
案外伝わるものなんだ」って。
入院中に会得したこと。忘れかけちゃってた。。思い出した。
忘れたくないね。
建設的で生産的な関係のために、
お互いの理解を深め合う努力。その姿勢。
だって、わかってもらいにくいことだからこそ、
わかってもらうのにエネルギーを要することだからこそ、
そのぶん、理解を得られたときの喜び、収穫は大きいはずだもの!! ね♪
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