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2006年5月の5件の記事

こんなわたしでも、ちょっとはイイコトしたかも♪な気分

 帰郷させていただいたら帰郷させていただいたで、静養に入らせていただいたら静養に入らせていただいたで、それなりのストレスがいろいろとある。……わけですが(「贅沢言うな!」と叱られそうですね……前言撤回!)、そんなストレスからも、徐々に解放されつつある今日このごろ。

 みなさん、いかがおすごしですか?

 さて、先日『本日我弟祝生誕弐拾四年』で書きましたように、わたしの愚弟が24歳の誕生日を迎えました。彼は、熟年離婚した母と二人で暮らしています。で、お書きいたしましたように、誕生日に、ちと含みのあるメールを送っておきました

 母の談によれば、その日を境に、母への弟の態度が一変、まるで別人のように180度変わったのだそうです。それを聞いて、

  ちょっとはイイコトしたかも♪な気分

になっちゃってしまいました大川内です。

 我が弟は、メールの返信は、チャットかよ! ってくらいに、いつもソッコーで返してくるのですが、その日は、約半日後の返信。彼にしては遅い方です。
 母の話によると、寝室にこもって、ひとりでなにかずーっと考え込んでいたそうです。

 半日考えた末に返ってきたメールは、「オマエ、ホントにかわいいなぁ、ウチの弟ってなんでこんなにカワイイんやろ?」ってくらい、なんつーの? あのデコメールっつーの? あれで、かわいらしーいGIFアニ付きの他愛もないメールでしたが(笑)。
 でも、彼が考えに考えた末、送ってきたメールだとはかんじました。

 はふー。

 いま、このブログ、見てくれているひとって、おんのかな? ミクシィからは、直リンクは外したしな。いま、『大川内 麻里の“人生がより心豊かになる”コトバ 1日1文』の方をリンクさせています。もっとも、プロフィールページに、『こんなブログもやってます』みたいなのも貼っているけれど、なかなか読もうって意欲の沸くものでもなかろう(笑)し、我ながら。

 それはさておき、これから、ここでは、わたしの療養の日々と、それに絡めて、ずーっと書きたかった医療や保険などへの問題点を中心に書いていきたいと思っていまーす。ブログのタイトルも変えるかな……?(検討中・いい案あったら頂戴! ぷりーず。って、だから、だれも見てないでしょってば^^;笑)

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101回目のありがとう!――ボクは病気治しま~しゅ。

……かんっぜんに、ハズシタな、こりゃ。
 いいよ、もう、本人が一番わかっているんだから、これ(タイトルハズシタ)については、なにもいわないであげて!(笑)

 えっと、前回の日記「大事な大事なひとを傷つけてしまった……。」、実はこのブログの記念すべき100回目のエントリーだったんです。

 走り書きしてしまったときには、「あ~ぁ、100回目だというのに、こんなの書いちゃったよ……」な気分(って実際は、そんなことも考えている余裕のない視野の狭窄状態でしたが)でした。

 でも、みなさんからいただいたコメントやメッセージ、メール、黙って見守ってくださっていた方々……みなさんの一言一言、わたしなんかのことを懸命に考えてくださるお心が、本当に心底あたたかくてうれしくて、心にしみて。いろんなことを考えました。

 いつもいっていることだけれど、わたしは、もったいないくらい、周囲の方々に恵まれすぎです。
 幸せです。

 おかげさまで、郷里・福岡での心身の療養に、安心して、専念することができるようになりました。本当に本当に、ありがとうございます。
 自分を大切にすることということはなんなのか、こんなに素晴らしいお心遣いをくださる大切なみなさまを、もっともっと大切にするにはどうしたらいいのか――そんな答えが見えてきました。

 完治は難しい病気です。
 でも、あきらめずに、無理なく、ある一定のライン――まわりのありがたい方々へ元気な笑顔をお見せできるようになるくらいまで――治療に専念し、頑張りすぎずに頑張りたいと思います。

 最低、半年はかかる見込みです。
 また、東京に戻ったら、お会いしましょう! 今度は元気な姿で!

 ありがとうございました。

●連絡事項~。
 ネット環境の非常によろしくない状況にいます。
 ここのところ、しばらく、みなさんのミクシィ日記やブログに、なかなかおうかがいできなかったり、メッセージやメールの返信が遅れがちだったりするのは、そのためです。申し訳ございません。
 なるべく早めはやめの対応を心がけますので、よろしくお願いいたします。あ、無理はしていないですよ~、みなさんのミクシィ日記やブログを読んだり、メッセージやメールをするのは、わたしの楽しみ、やりたくてやっていることですので!^^

○ジモッティーのみんなへ・ついしん~。
 ごめんね、いまは遊べん状態ったいね。病気ば、ちゃんとよくしてから遊ぼーね♪よろしゅー!

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【パニック障害&鬱病&PTSD】上手に共存していこう日誌(19)――ごめんなさい……。
「大事な大事なひとを傷つけてしまった……。」

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大事な大事なひとを傷つけてしまった……。

 大事なひとを傷つけてしまった。
「これだけは言うまい」としていたことを、言葉によって指摘してしまった。それも、最悪のタイミングで。

「正論だから」と、彼は言う。決して、わたしを責めない。
 けれど、正論を振りかざすことで、ひとを傷つけてしまうるのであれば、それは、ただの暴言だ。取り返しのつかない暴言だ。

 これまで、たくさんのひとに、「あなたの言っていることは正論だから」と言われてきた。その正論とされる言葉に、過ちが含まれているときもあるということに、なぜ、これまで気付かなかったのか。

 指摘の方法というものは、なにも言葉である必要性はない。自然な気付きをうながすことのできるように努めてきた。長い目で見守りながら、ノンバーバルなものによって、気付きをうながすことができればと。彼ならば、それで十分すぎるくらいだと、彼の内面にある俊才を信じていた。それなのに……。

 この上ないわたしの理解者であり、欠けがえのない大切なパートナー。これまでに受けたことのないほどの真の優しさを注いでくれ、わたしを支えて、救ってきてくれた。あたたかく包み込んできてくれた。受容してきれくれた。愛。幸せ。知らなかったものを与えてくれた。わたしの心の奥底にある枯渇していたものを満たしてくれた。渇仰してきたことを、現実にしてくれた。

 そんなひとを、なぜ傷つけてしまう?

 最低だ。涙が止まらない。
 そんな自分の涙。「甘ったれるな、そんなものごときが、贖罪になるとでも思っているのか」と赦せない。自分が赦せない。
 最低だ。最低だ。最低だ。わたしは最低な人間だ。

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本日我弟祝生誕弐拾四年

 タイトルは、先日、ひっさびさに、南野やじさんをエンタで見られた興奮が冷めやらぬ次第です。私事で恐縮です。

Tsukasa01  さて、さらに私事ですが、今日は、ウチの弟の誕生日。
 24歳になった彼は、おそらく(母から伝え聞いた話から推測するに)、いま不安と焦りのなかにいる。

 振り返れば、彼には不憫な思いばかりをさせてきた。
 両親に溺愛されて育った彼は、それこそが、重圧であっただろうと思う。彼は、いつまでたっても、『甘えん坊のかわいいかわいいツカサくん』を演じ続けなければならなかった。
「甘やかしすぎや、こんなやったら、自立できるもんもできんなる」と忠言するも、その真意は両親の耳には届かず。本当は、もっと父に弟をきちんと“育てて”ほしかった。
 さんざん甘やかされた挙句、両親の離婚後、二人の考え方の変化で、急に突き放されても、彼は迷い戸惑うだけの話。
 また、家庭内の不和、わたしの十代のころの精神の崩壊も、彼には重すぎる耐えがたい環境であったに違いない。

 わたしにも重大な責任がある。Tsukasa03
 弟が中学にあがるとき、「姉ちゃんと比べられるのが嫌だ」と、母に訴えていたことを、後に知ったとき、ショックだった。弟は、中1の二学期から不登校となった。
 弟は弟。わたしはわたし。比べようなんてない。そう思っていた。実際、弟は、すぐれたポテンシャルをたくさんもっていた。けれど、自分を発揮できなくなり……きょうだいの下の子というのは、やはり、すくなからず、上の子と比較されることへの恐れを内包したまま育つものなのだろうか。

 * * *今日弟に送ったメール* * *
お誕生日おめっとさん♪
24年まえの今日のことは、実はいまでもはっきり覚えちゃってるよ。たしか日差しの優しい朝だったな。電話が鳴って、お父やんが取って、わたしも寝ぼけまなこで電話に出てるお父やんの横にぴったり張り付いてやな、「赤ちゃん生まれた生まれた?!」って。そりゃ生まれたから病院から電話きとるんやろーがっちゅー話やけども、電話切ったお父やんが「生まれたよ」って。この一言、それを聞いたときの気持ちが忘れられんよ。
わたしも一応母親やけんわかるけどさ、親とくに母親っちゅーもんは、ただただ「生まれてきてくれてありがとう」ってだけ……それだけをただただ思うもんなんよね、子どもには。やけん、子どもとしては、自分の誕生日っちゅーもんは、親に「産んでくれてありがとう」って感謝するための日なんかもしれんな。
おめでと、生きるって大変なことも多いけど、24年間よう頑張った!!(あ、別に「死ね」いいよるわけやないけんね(笑)そこんとこよろしく)Tsukasa02
あ、追伸。プレゼントは、ナイ。はっきりいうが、ナイ。その代わり、なんでも相談に乗るぜ。ただし金のこと以外な。ちなみに相談料は高いよ~。まぁ家族割りはするけどな。じゃね♪
#あ#な#た#の#姉#より
(↑“#”マークは、すべてiモードのムンクの叫び絵文字)

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[D12]Proof銃殺――アーティストが亡くなるとさ、こんなひといない?

 ちょーしがわるくて、ブログに書くタイミングを逸してしまっていたのだが、D12のプルーフ銃殺……ショックだった。

 またひとり、好きなアーティストが死んじゃったよ。

 時間がすこし経って、ふとこんなことを思った。
 アーティストが死ぬとさ、その死をきっかけに、はじめて音を聴きはじめるひとがいるでしょ。そういうひとたちのことを、なぜか牽制して阻害したがる、生前からのファンだった連中……ってのがいない?

 わたし、あの心境、わっかんないんだよねー。
 PANTERAのダレルの死以降、ファンになってくれたひとも、当然ウェルカムだし。

 死をきっかけに聴きはじめたって、別にいいじゃん。好きなアーティストの音が、多くのひとに聴き継がれていくのならば。
 独占欲なんだよね。アーティストの人間としての部分に傾倒しちゃってるっていうのかな。

 音だろ、音。

 そんなことを思いながら、もう2度と聴けなくなってしまった音を――“D12 World”

↓これ、一番泣いた。てりちゃん、メールさんきゅね。
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Eminem、50Cent、ObieTrice、そしてD12のメンバー等が勢揃いする中、Proofの葬儀告別式が行われた(AP)
Proofの幼なじみEmは2000人近い出席者を前にスピーチを行い「彼からリーダーになる方法を教えてもらった。彼がいなければEminemも、SlimShadyも、D12も存在しなかった」と泣き崩れた

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D12のプルーフがデトロイトのクラブで殺される
エミネム率いるグループ、D12のメンバー、プルーフがデトロイトのクラブにて何者かによって銃で撃たれて亡くなったと、AP通信などが報じている。

事件が起きたのは4月11日の朝4時頃で、デトロイトのクラブCCCにてプルーフともう一人の男性が何者かによって銃で頭部を撃たれ、二人はすぐに近くの病院へ運ばれたが、プルーフは息を引き取った。享年32歳であった。また、もう一人の男性は一命は取り留めたものの重体であるという。

警察は現場で目撃証言を集めているが、現在のところ犯人は判っていない。また、被害者のもう一人の男性がD12のメンバー、ビザールであるとの噂も流れていたが、ビザールは事件当時、アトランタの自宅におり、現場にはいなかったことがパブリシストの発表によって明らかとなっている。

デトロイト出身のプルーフはエミネムとの古くからの友人であり、映画『8マイル』にも出演。D12のメンバーとして2枚のアルバムをアルバムをリリースした他、昨年8月には自身のレーベル、アイアン・ファーストよりアルバム『Searching for Jerry Garcia』によってソロ・デビューも果たしている。

K.Omae, LA
2006-04-12 バークス

D12、プルーフ殺害事件の容疑者が自首
デトロイトにてD12のメンバー、プルーフがクラブにて殺害された事件で、容疑者である男性が自首したと、AllHipHop.comが報じている。

自首したのは28歳の男性、マリオ・イサレッジで、彼は事件のあったクラブCCCのバウンサー(入口で警備などを行なう用心棒)であり、プルーフを銃で撃ったのは彼であると警察は見ている。目撃者の証言によると早朝4時半頃、クラブ内でビリヤードを行なっている最中に何らかの論争が起き、最初にプルーフが発砲。その後、マリオ・イサレッジが銃を4発発射し、頭や胸に命中した。

容疑者であるマリオ・イサレッジはプルーフと共に撃たれた35歳の男性、キース・ベンダーの従兄弟であり、重体と報じられているキース・ベンダーは現在、生命維持装置を付けられ、非常に危険な状態にあるという。

K.Omae, LA
2006-04-13 バークス

D12、プルーフ殺害事件の容疑者は正当防衛?
先週発生したデトロイトのクラブにてD12のメンバー、プルーフが殺害された件で、プルーフを撃ったとされるマリオ・イサレッジ側が正当防衛を主張していると、AP通信などが報じている。

既に報じられている通り、事件はビリヤードのゲーム中に口論となったことがきっかけとなり、まず最初にプルーフが35歳の男性、キース・ベンダーに対して発砲。そして、キース・ベンダーの従兄弟であるマリオ・イサレッジが彼を守るためにプルーフを撃ったされており、マリオ・イサレッジ側の弁護士は正当防衛を主張している。

警察はマリオ・イサレッジに対して銃器の隠匿所持及び建物内での発砲という二つの容疑を課しているものの、殺人罪に関しては現在のところ課されていない。また、銃器の隠匿所持及び建物内での発砲のみで有罪となった場合、合計で最長9年の懲役刑の可能性があるという。

なお、プルーフの葬儀は4月18日と19日にデトロイトのフェローシップ・チャペルにて行なわれることが発表されている。

K.Omae, LA
2006-04-18 バークス

D12、プルーフに撃たれた男性が病院で死去
先週発生した、デトロイトのクラブでD12のプルーフが殺害された事件で、プルーフに撃たれた男性が病院にて亡くなったと、AP通信が報じている。

亡くなった35歳の男性、キース・ベンダーはデトロイトのクラブCCCでプルーフに頭を撃たれ、その後、病院に運ばれたものの、昏睡状態が続き、4月18日朝に息を引き取った。

なお、キース・ベンダーの従兄弟であり、プルーフを撃ったマリオ・イサレッジに対して、現在、銃器の隠匿所持及び建物内での発砲という二つの容疑を課せられているが、彼は有罪を認めてないという。また、マリオ・イサレッジは7,000ドル(約84万円)の保釈金を支払って、4月16日午後に拘置所より保釈されている。

K.Omae, LA
2006-04-19 バークス

D12、プルーフの葬儀にエミネムら参列
4月11日にデトロイトのクラブにて亡くなった、D12のメンバー、プルーフの葬儀が4月19日にデトロイトにて行なわれ、エミネムを含む約2,000人が参列したと、Billboard.comが報じている。

葬儀にはエミネムの他に50セント、ドクター・ドレー、ロイド・バンクス、ヤング・バック、オービー・トライス、イグジビット、ノーティ・バイ・ネイチャーのメンバーなどが訪れた。黒いプルーフのTシャツを着て参列したエミネムは、葬儀の間、涙で目を赤くしていたという。

また、エミネムは亡くなったプルーフに対して「もしプルーフがいなかったら、エミネムも(エミネムのレーベルである)スリム・シェイディもD12も存在していなかった」と、エミネムにとって掛け替えのない友人であったことを語った。また、今回の事件ではプルーフが最初に発砲していたことが明らかになっているが、オービー・トライスは「俺達はお互いに殺し合っている…そしてそれは何も産み出さない」とコメントしている。

関連ニュースとしては、D12のメンバー、スウィフトが、今回の葬儀と同じ日に裁判所へ召還されていたにも関わらず、出廷せずに葬儀へ出席したため、逮捕状が出されたと報じられている。

K.Omae, LA
2006-04-21 バークス

D12、プルーフを撃った男が新証言
D12のメンバー、プルーフを撃ったとされる男性、マリオ・イサレッジの審問がデトロイト裁判所で行なわれたと、Detroit Free Pressが報じている。

4月11日早朝、デトロイトのクラブで起きた事件で、正当防衛としてプルーフを撃ったとされるマリオ・イサレッジに対し、検察側は銃器の隠匿所持及び建物内での発砲という二つの罪状で起訴しているが、デトロイト裁判所にて行なわれた審問で、マリオ・イサレッジ側は銃器の隠匿所持を否認。弁護士によると、彼は既に亡くなっている従兄弟のキース・ベンダーがプルーフに撃たれた直後に誰かから銃を渡されたか、あるいは奪ったと主張。なお、警察によると、双方が使用した銃は現在のところ発見されていない。

また、発砲はプルーフとキース・ベンダーとの口論が原因と伝えられているが、マリオ・イサレッジ側によるとプルーフはその前に他の人物と口論しており、その怒りをキース・ベンダーにぶつけたとも証言している。

K.Omae, LA
2006-04-28 バークス

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